夢の海外生活・ワーホリを実現させる為の3つの心構え


長期で海外に行くのはこれが3回目だ。1回目は3ヶ月間フィリピンのセブ、2回目は1年半カナダのトロント、この3回目は2年イギリスのロンドン。

最初、フィリピンのセブに行くときは7年働いた会社を辞めた。これは自分にとって大きな転機だったと思うが、その大きな一歩を踏み出すまでに物凄く時間がかかってしまった。もう数年早く踏み出していればもっと選択肢が沢山あったのに、と思うこともある。そして無くなった時間は戻って来ない。

環境を変えるのは心理的な不安がとても大きい。海外に行くことそのものより、「仕事を辞める」「大学を休学する」という決断を下すほうが難しいかもしれない。そういう決断を後押しするような心構えを3つ書き出してみたい。

今からここに書くことは「海外に行きたいけど勇気が出ず、躊躇している」人に向けて書いていると同時に、これからロンドンに行く自分に向けても書いている。

遠い未来の計画を立てないこと

自分が5年後10年後にどうなりたいかを見越して、逆算して今何かをする必要は無い。今の僕の状況は5年前に想定した未来とは全く違う。僕は単に今やらなきゃいけないことを1つづつ積み重ねていくだけで自分の満足する結果が出た。

僕の最初の一歩はただの英語の勉強で、2012年くらいから2年間はフィリピン英会話をやりつつ英語をしているだけだった。その途中でフィリピン留学の選択肢が良さそうに見えたので、次にフィリピンの英語学校に3ヶ月行った。

フィリピンの留学中にカナダに行くことが良い選択肢に見えたので、それが終わると今度は1年半カナダに行って英語学校に行った後エンジニアとして働いた。

カナダから日本に戻ると、1年5ヶ月くらい英語必須なGengoでまたエンジニアとして働いた。そして今度はビザが当たってロンドンで働くことになった。ここまで想定して計画は立ててなかったし、立てていたらこの結果は出なかったと思う。

小さなスパンで見ると今回のロンドンに行く経過もそうだった。最初の一歩は1月に抽選の為のメールを1通送ることだった。それが当たると次の一歩はビザの申請と手続きをし、5月にビザが下りると次の一歩は履歴書をアップデートすることだった。

それが終わり6月に応募したい会社のリストを作り、7月に応募して、スカイプ面接して、8月に受かったら飛行機のチケットを取り、会社を辞める手続きをし…と、こんな感じで9ヶ月かけて少しづつ準備を進めて行った。

別に途中で気が変わればいつだって辞められた。それに最初のメール1通を送った段階でこのステップを全て想定していたわけではなかった。単に1つづつ丁寧に進めて行くことで気づくことや分かることが沢山あって、それに価値があったのだ。

完璧な準備を諦めること

「準備万端!よし海外行こう!」

と思える時は一生来ない。英語の勉強、仕事上のスキル、フィリピンの英語学校や留学エージェントの選択、何かは分からない。英語を完璧に話せるようになってから海外行こう、と思ったら英語の勉強だけで一生が終わる。

一番いいフィリピンの英語学校やエージェントを見つける、というのも無理だ。ある程度の失敗は受け入れるしかない。1年経てばフィリピンの英語学校の先生は入れ替わるし、同じように運営されている保証もない。

見ている限り、海外に来ている人は皆完璧ではないし、失敗もたくさんしている。単にそれを受け入れる気構えがあれば十分だ。その経験を通じて英語がうまくなったり自分の能力が上がっていく。

先の心配をしすぎないこと

一番大事なことは、問題は遭遇したときに解決することにして、先の心配を特にしないことだ。もしトロントに行く前にどんな問題が発生するか予め全て分かっていたら、絶対に行かなかった(笑)。

ホームステイ先のオーナーと喧嘩になる、引っ越し先は見つからない、仕事も3ヶ月見つからない、全然友達できないし出来たそばから帰ってく、お金もガッツリ減って行く、部屋綺麗じゃないし寒い、ご飯は美味しく無い、英語がうまく通じない、文化が違いすぎる、とか。 西洋(左)と東洋(右)の問題に対する認識の違い

「問題を全て予想して予め解決するか回避しよう」というのは日本人を始めとする東洋人の発想だ。一方で西洋人は問題があろうとその行きたい方向を突き進む。中国人のアーティストがこの対比を1つの画像でうまく表現している。

僕もそうだったが、みんな過剰に何かに対して準備しすぎなのだと思う。しかし、「長期で海外に行く」のはこんな小さな円ではなく、延々と横に流れる川みたいなもので、迂回しようとしても一生迂回できない。もう避けるのは諦めて問題とぶつかる決意をすることが海外に行く上で一番必要なことなのだ。

comments powered by Disqus